えー、農業祭になると、三鷹駅前広場には、レタスだかキャベツだかがうずたかく積まれます。
このツリーみたいなのキャベツだかレタスだかです。多分キャベツ。
そして今回はハロウィンモード。光って見えませんが、二つの灯りはジャック・オー・ランタンでした。
この写メは上から撮ったんですが、近くからも撮ろうと近づいたところ、周囲には恐らく撤収準備の待機やビデオを持った人々・・・そして
駆け抜ける魔女。
ちょ、ええ!?
見つめる私に魔女が近づいてくる!
「はろうぃーん!」飴をザラザラ
「あ、ありがとうございます」右手が携帯持ってたんで左手で受け取った
アメもらいました。あ、魔女のカッコしてた人は男性でした。なので魔法使い、と呼ぶべきやもしれません。
この上からみるとカボチャにしてあるのいいですよね。上から見ないとなんだかわからないけども!
ギアスでハロウィン今からまにあうかなー。
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21日
毎日6時起床だったが今日は若干のお寝坊さん。パリ郊外の朝である。地下鉄の切符の買い方を教わってからバスへ。バスの車窓からパリをゆく。マリーアントワネットがギロチンにかかったコンコルド広場、エッフェル塔、凱旋門、シャンゼリゼ通り、ノートルダムを横目で見つつ、「ここがのだめと千秋先輩が喧嘩した橋ですね」ぶはっ。
ギャラリーラファイエットという世界三大デパートにて解散、昼食をとる。
まずはオプショナルな人のバスに便乗しつつルーブル美術館へ。ルーブル宮はルイ14世までは王様が使っていたが、ヴェルサイユに移したため当時から美術館になったそうな。入り口からどーんと壮麗。かつーんかつーんと入場。目の前に広がるは噴水とガラスのピラミッドである。ここが入り口!「アンダー18?」「ノー!」お昼の時間に言ったためかつるつるっとはいれる。そして遭難。いや、遭難まではしてないが迷子。ガイドブックとにらめっこしてエレベーターでモナリザの階まで運んでもらうことに。
無事にモナリザの階にやってきた!パリではスリに気をつけて・・・。ガイドさんの言葉が耳を通りつつ荷物を死守しながら人ごみを前進。ぱるどんぱるどん!無事に最前列でパシャリ。ルーブルはフラッシュはだめですがカメラはいいんです。その後サモトラケのニケへ。予想外の大きさ。立ち並ぶ彫像。彫像。ミロのヴィーナス。彫像彫像!ルーブルはどうやら地方や時代別。種類に部屋を分けていて、○○の間」といった様子である。規模が違う。ドラクロワの民衆を導く自由の女神を拝むために絵画フロアへ。どこを見ても見事な絵画である。ジャンヌダルクの持つフランスの三色旗を見つめていると胸からこみ上げるぞ。しかし圧巻はナポレオン戴冠。大きな絵だ!周辺にはジョゼフィーヌの絵がたくさんだ。そろそろ意識が遠くなっていく。
ルーブル内のカフェでナポレオンを食べて再び出陣。ハンムラビ法典!メソポタミアエリアをじゃかじゃか進軍。ぺろっと触れちゃいそうである。
ドイツ絵画の奥にあるレースを編む女への情熱を父が見せ、さらなる進軍を試みる。途中王の間に。歴代フランス王の肖像画がずらり!ここは宮殿であったのだという実感がわく。王冠もパシャリ。
レースを編む女への進軍は過酷を極める。三階フロアを幾度も水分をとりつつ進む。もう戻るか・・・いやしかし。われわれの進軍はついに日の目をみた!レースを編む女!
結構ちっちゃい絵でした。
フランスなんて何度も来ないよルーブルなんて何度もこないよ、ということでいつもたんすのこやしになってしまう図録を購入。記念!なんと4時間もルーブルを探索していたことに。かなり急いだんですけどね!
ルーブルを出たら地下鉄に。治安が悪いですよ・・・とささやかれても一度は乗りたい。だが予習をした切符の券売機はなく、人の売り場しかない。仕方ないので「フォーチケット、プリーズ!」地下鉄は岩肌もあらわ。くりぬいた感じ。なんか・・・速いです。
シャルル・土・ゴール駅で降りてマックで作戦会議。凱旋門は交差点のどまんなか。地下通路の入り口を探す。無事に進入。螺旋階段をくるくるあがる。なんとなく凱旋門の記念コイン買ってみた。2ユーロ!
凱旋門の上からは放射線状に区画整理されたパリの町並みが一望。エッフェル塔をバックにぱしゃり。くるくると戻ると何かの式典が行われている。炎へささげられる花束。パリ祭は終わっているはずだが、戦死者追悼だろうか・・・。
オーシャンゼリゼと歩きながら夕食に。ムール貝でお勧めされたビストロへ。横に座ったご夫妻と写真を頼み頼まれと微笑ましい交流。
シャンゼリゼでカフェに入りたいと母が発言。目がとまったカフェは・・・高い。他のカフェで落ち着いた確認をとると、なんとパリで一番有名なカフェらしい。
高速鉄道は今度こそ購入を試みるが、コインがいれてもいれても戻ってくる・・・。諦めて人のところで「ヴぁるど・ふぉんとねー!」しょんぼりである!
10時も間近、そろそろ暗くなるところでさらにスーパーに。バナナとネクタリンを購入。果物はこうやって買ってがぶりとやるのがウマイですね。
おやすみパリ・・・。
20日
今日はモンサンミッシェル。フランスに行くというと「モンサンミッシェルいくんですか?」と言われるフランス観光の目玉の一つである。その出自は修道院、フランスを護る牙城として長く僧兵を要したが、最終的には平和ボケして革命の波にさらわれたのであった。潮の満ちひきで島になったり陸とつながったりで有名だが現在は道を繋げてしまったため常につながっている。それどころか潮の流れが変わって素敵度半減。近く閉鎖して橋に作り直すらしいぞ。
モンサンミッシェル名物オムレットをたべる。半分にきって重ねると8センチになるふわふわのオムレツだ。これまた名物のシードルも飲む。昼からアルコール漬けである。
モンが見えてくるとあがる歓声。修道院じゃねー。砦だ砦!潮風が大変強い。
城砦にはいり山を登っていく道は清水寺へのお土産道が狭さ三倍になった感じ。人と押し合いへし合い進む。周り中からいい匂いである。
ここ、やってくるのは観光客ばかり、なおかつこの人混みということで、スリ多発地域と脅される。けして荷物は背中にやらねえぜ!と警戒して進む日本人観光客である。
いざモンサンミッシェル。山の上に立てられた修道院で、この修道院をたてるために、土台としての四つの教会が建てられている。革命時に怒りに燃える民衆によってなにもかもが奪われているが、建築物としての威厳は健在。ちなみにモンサンミッシェルにはかつて自給自足で40人の僧侶が住んでいたそうだ。今の住人も四十人くらいだそうだ。働いている人はみんな通い。今も修道院として使われ始めているのでその人々かな?
この日はバスで遠路パリへ。夕食は途中のインターチェンジである。なかなか面白い体験。明日は半日自由行動である。
19日
本日は教会と古城見学。教会のほうはゴシック建築でノートルダムと同じようにつっかえ棒がある教会であります。五廊式。やはり宗教建築は内部に背筋がぴんと伸びるものがあります。あと声を潜めさせるものがあります。お寺や神社でもそうですね。
古城はシュノンソー。六人の奥方が関わったというシェーン川にかかる城であります。一人目がまっすぐな階段と廊下を設置したかとリーぬ。二人目がアンリ二世の愛人ディアンヌ。三人目が正室カトリーヌ・ド・メディシス。四人目が白の王妃ルイーズ。五人目が革命を切り抜けたでゅぼわ夫人。六人目がカトリーヌの時代の様式を復活させたと。いやあなんとも優美。そしてワインの試飲をする。
途中インターチェンジでサブレを購入。うまーい。あとそろそろ食事にじゃがいもが出始めた。うまーい。
ちなみに南仏土産屋価格とパリのデパートの価格差。
18日
ふよふよのクロワッサンうまー。本日は一路まずは世界遺産の水道橋ポン・デュ・ガールへ。朝一なのでまだトイレもあいていない。この水道橋はアルプスから50キロにわたり水を引いている。今は9世紀ごろに補修が頓挫したので使用不可。こんな風にフランスなどではローマが断絶しているのだった。世界遺産になる前は最上部の様子も見にいけたそうだ。逆光ですよといわれるほうにダッシュ。下のほうにいける階段を発見。ぺたぺた触ってきたぞ。
次に同じく世界遺産、アビニョンへ。教皇庁はさすがの迫力である。教皇にはみだりに接触できないようになっているのだなあ。旧市街はまさに時代の違う町。城砦をくりぬいたような岩壁をくぐって中へ。マルセイユ石鹸とラベンダーのポプリ、ラベンダーベアをお土産に購入。昼ごはんに両親は不満げである。うん、フランスといってもどこもかしこも美味しいってわけじゃないよね。
これよりリヨンへ、というところでトラブル発生。ツアーメンバーのうち二名が戻ってこないのである。添乗員さんが探しに。しばらく運転手チェリー氏にかかる英語の会話で状況を判断しつつごろごろするツアー客たち。結局トイレ休憩。一時間後無事に集合し出発。スイスの時はおいていかれてたので親切なツアーである。
リヨンへの道はパリと同じくらい込むようで、渋滞にひっかかる。これが渋滞だようん。途中山城のプロヴァンスを守る とモンドラゴン、を通過。プロヴァンスに別れを告げローヌ川をたどっていく。ローヌ川と自動車専用道路、そして新幹線が三本並んで北上。リヨンはフランス第三の都市。一望に見下ろせる丘へ移動。フルビエールの丘にてトイレ休憩を試みるが失敗。トイレはすでに閉まっている。教会も閉まろうとしている。お願いします。ノン!おおお、聖母マリアの慈悲はない・・・。カフェにてトイレを借りる。
その日の夜はフランスの風呂事情をとくとくと脅される。でもバスタブありました。朝食もコンチネンタルではなくアメリカンブレックファストでした。しかしベッドはダブルでした。
これはあれか。我々にラブラブせよとゆー挑戦か。ヨーロッパでは、ツインは普通恋人同士がとるもんらしいです。普通にべつにまあいいかと寝ました。家族旅行だし。
17日
四時間睡眠の果てに朝食。菓子パンがウマー。スクランブルエッグ6がウマー。朝食は六時半からなのにシェフがくるのも六時半だそうです。いいけど!
まずはトゥールからニースへ移動。コートダジュールのバカンス時期へ飛び込む。まだ早朝の海は紺碧海岸というほどでもないがやわらかな青である。海岸はまるい石がたくさん。砂浜じゃねー。ここで一日二千円くらいで日焼けができるらしい。とりあえず波に触りにいく。波うちはあわあわ。
気候がどんどんよくなってまさに南仏。リゾート地。暑い。日差しも。まずは朝市へ。食べ物や花とかしか売ってはいけないらしい。町中夾竹桃のここニースである。ハイビスカスとか打ってる。バラはお安め。
アメリカンチェリーのでかいののよーなものを発見。一山3ユーロ。めっちゃうまい。実も多い。でもアメチェリみたいというと勢いよく「フ・レ・ン・チ・チェリー!」すんませんでした。
清掃が後でくるので種はぽいっとどうぞ、といわれる。ガイドブックには現地の人はそうしてるけど真似しないでねとあったなと思いつつぺっ。
その後旧市街へ。まずはイタリア的なほう。ここはフランスか?と言いたげなイタリア情緒漂う町並みである。外の窓に洗濯物も干されているし。
その次はニースの山の手地区へ。ローマ人もドイツ人もここに住んだらしい。親しみの薄い高級住宅街である。マンションがある。日本で言うと億ションといったところだ。m
はじめホテルとして建てられたが今のようなマンションへ。
その後浴場跡に感嘆符を打ちつつ、シャガール美術館へ進出。シャガールが大量の絵を寄進したらしい。門外不出の作品がたくさんあるぞ。中では学生が美術の時間。名画の模写とは贅沢な授業である。
昼食はニース風サラダ。何がニース風かというと生野菜しか使わない点らしいぞ。
ナポレオンの歴史を聞きつつ内陸へ移動。アルルへ移動だ。アルルでは円形闘技場と半円劇場を見る。今では闘牛が行われているが、当時も血なまぐさいところまでは行かなかったらしい。ゴッホの絵に言う跳ね橋、夜のカフェを実際に見学。跳ね橋では水に飛び込む少年がバック飛込みを披露してくれる。
この日は余裕を持ってホテルへ。9時になっても明るい。サマータイム恐るべしだが、それ以上に高緯度の夏の昼の長さである。
夜はアルルはロゼが有名というので少々飲酒。ふらふらで眠い。
7月16日水曜日
12時40分搭乗開始
ブリティッシュエアラインズ BA008
飛行機に乗る際めっちゃ英語で話しかけられる。そんな、英語で席の説明をされても。
交差式のビジネスクラスを横目でみつめつつエコノミーへ。逆向きの席は飛び上がるとき落っこちないのか疑問である。
エコノミー席にはクッションと毛布、イヤホンが装備。なんだかおつまみが味濃いな・・・。
ロンドンヒースローへは12時間の飛行予定。時間だけ見ると4時間でつくがごとく。これが時差というものだ。
道中食事のパンはほんのり甘い。母と姉はのこす。途中菓子のようなベビースターのような。不味い。
後ろの子供が大変やかましくて眠れず。仕方ないからハリポタみた。ロンドンに胸がときめく。
かずの強襲。私の手に持った紅茶をこぼす。ひどい!
ロンドンヒースロー到着。最新の第五たーみなるからの道のりは一時間。おい空港。
ポンドが強いのか空港料金なのかフィッシュアンドチップスは二千円である。
日本のガイドブックがTOKYOしかなかった・・・。
すでに眠さと戦いながらフランスへの便へ。もはや24じかん行動になりつつあった。ロンドンの町並みは大変ロンドン。フランスはきらきらしている。
到着はニース、バカンスな土地である。
すでに現地時間で24時を回り、日本時間は朝を迎えようとしていた・・・。
英国ヴィクトリア朝絵画の巨匠、ミレイ。
今回目玉作品は<オフィーリア>
ロンドン留学中の夏目漱石に感銘を与えたこの作品は、オフィーリアがゆるゆると沈んでいくシーンです。
8月30日-10月26日、Bunkamura ザ・ミュージアムで実施中!
ミレイは初めて見ましたが、とても写実的な画家さんです。写真もかくや、という絵を描こうとしていた、というのがわかるほどに写実的。
この人、画家としては珍しい「生存中に認められた」画家であります。11歳の時アカデミーに合格し、その作品の多くが前衛的な「今までにない作品」であったにも関わらず、愛する人と結婚し、多くの子宝に恵まれ、巨額の富と永世貴族の名誉をいただいて人生を終えました。
私は特に<安息の谷間>が好きでしたね。
ところでこのミレイさん、最愛の奥さんはなんと元、パトロンの奥さん。
略奪愛か・・・やるな。
そんな気になるこの画家であります。