それは、母の一言……
「そうだ、白神山地いこう!」
白神山地=ブナ
くらいしか知らないのに、OK、いこう!というわけで出発です。あ、でも行く前に調べました。
原生林なことが明らかになりました。
と、いうか中心には入れないことが明らかになりました。
一般人は周辺しか入れません。中は許可が必要で、プロの同行が必要。甘く見ると遭難します。
秋田まで飛行機でどーん。
秋田だと思ってたら青森にすぐ連れていかれます。
白神山地は秋田と青森にまたがってあるわけですね。青森に入ったらすぐさまりんごが立ち並びます。まだ青い。くれぐれもシートベルトをつけてね!といわれつつ進軍です。なんでもこのあたりにはババヘラアイスが売りでもあるそうで、夏にはたくさん見られるそうです。なにそれ? ババ(おばあさんが)ヘラ(へらですくった)アイスです。出来高制だそうです。
高速道路が無料化実施中で、高速にばかり車が通り、一般道はピンチなんですよー、と高速を通りながら言われます。
さて白神山地です。
白神山地は人の立ち入らぬ原生林が売りなので、電波は届きません。車もここまでー、で止まります。
まずは湧き水で水を補給し進軍開始です。
水分がたっぷり含まれており、実に森林浴です。ガイドさんがもってる杖は、ええとなんだったか……。
周りの年配の方が超玄人ぽく山岳準備が整っている一方、微妙な準備の両親。しんどそうです。
雨が降ってきて、ささっとレインコートを着るツアー客。ずぶぬれの添乗員さん。おや?
先日台風がきたばかりで、川は何日もかけて濁った状態から清い状態へと進んでいます。昨日は滝までいけなかったようで、ラッキーです。
なんでもかけている橋は簡単に流されるようにできていて、溢れるとすぐに流れてしまうそうです。ダムまで流れたのは回収してかけなおすとか。
それなりの高さの橋を渡りつつ進軍です。
細い道やすべる道を進みますが、道がつくられているのでそんなに辛くはありません。いや、両親は大変そうでしたが。
なんでも滝を発見したときは、上流から見つけたそうで、だから上から1,2,3なんですね。
滝に近づくと、霧と化した水で大変です。デジカメが。
たっぷり森林浴をして帰っていきます。
マザーツリーという、大きなブナも見ました。こちらは世界遺産じゃないので、枝おっても大丈夫。これはかじるとハッカの匂いがするよー、とか聞きます。
ごはんはりんごフルコース。
翌日は十二湖という、真っ青なインクのような湖へ。
すごく……青いです。
思っていた以上にインクっぽい青で、沈んでいる枝や、泳いでいる魚がくっきり見える澄んだ湖です。魚……泳げるんだ。
こちらの道はチップが巻いてあって大変歩き易いですが、雪解けの時期に流れてしまうそうです。
湧き水でたてたお茶をいただき一服。ぷう。
これが旅の楽しみ。
インターチェンジでは、半分地元の人のスーパーマーケット。お土産が売っている横では、安い野菜がわさわさ売ってます。
というわけで白神山地でした。
館長曰く女性を描いた作品を多く収蔵するこの美術館。
看板娘は「貴婦人の肖像(アンテア)」です。貴族の娘か高級娼婦か、と謎をまとうこの女性画ですが、私は高級娼婦かなー、と思いました。鎖に絡めた指先がなんとなくなまめかしいから!
あと、聖アガタの絵がよかったです。切られようとしても、切られたあとも、汚されない清らかさをもっている感じでした。
あと大きな絵で、アタランテとヒッポネメス。競争に勝ったらいいわよー、と駆けるアタランテと、女神の知恵たるりんごを授けられたヒッポネメス。りんご小さすぎる。
近くからみたなまめかしさも凄いけど、少し離れての躍動感も素晴らしい。
というわけでカポディモンテ美術館展。
国立西洋美術館にて9月26日まで。
上海ですけど万博じゃありません。
中国は広いです。飛行機から見ると、街のあたりは四角い箱がたくさんどこどこ並んでいますが、少し離れると山河ありです。
中国はトイレットペーパーは水に流さない主義なので、横に大きなゴミ箱が置いてあります。トイレットペーパーがついているのはホテルや空港とかで、基本紙はついてないので自分でティッシュペーパーを持参しましょう。
最近は仕切りがないなんてことはほとんどなく、とりあえず観光地のトイレ、レストランでのトイレはほとんど仕切りがありましたが、鍵が壊れていることはままあります。でも中国の人も困るようで、一生懸命閉めてました。
あと、フォーク並びの心境には至っていないようで、いっこいっこにレジ並びです。これは人口が多いからかもしれません。
黄砂があるので自動車のボンネットは白いです。
さて、上海についてまずおもうことは交通状況。台湾も車優先でしたが、横断は勇気で行われます。車と車の間を歩行者がすり抜けていき、街はクラクションでいっぱい。自転車は大分バイクに移行しているようです。
あと建築ラッシュでそこらじゅうでクレーンが見えます。
交通事故の割合は、統計では人口で比率すると日本とそう変わらず、これが常態で慣れているようです。
さて上海。万博のため外に洗濯物干すことが罰金ついたようで、洗濯物の姿はほとんどないです。ですが上海は湿気が高く、たいていいつも曇りなので、以前は晴れの日は一斉に干す日だったとか。
幸い観光時には天気に恵まれ晴れの豫園へ。
豫園は都会の山水。お庭が自慢です。金持ちの主が勢いで竜をつけちゃって、役人にシバかれそうになったところを竜の指を三本に折って(竜は五本)ごまかしたというお庭です。竜を使うのは皇帝の特権で、パンピーが使うと処刑だったわけですね。
遠めに万博会場を見ます。あれ、ビックサイト……?隣には桜色の屋根の日本館も。ニュースでは毎日5.60万人きてるそうです、でも前の晩のニュースのテロップでは9日間で130万に達した、といってました。勘違いか。あと洪水で10人が死亡し、12万人が罹災、ただいま救援活動中、っていってました。流石中国、規模が違います。しかし、上海では霧雨だったんですが、流石中国、広いです。
展望台にも昇ります。テレビ塔のまるい球も見ます。超高級マンションもみます。
上海はアヘン戦争でイギリスに負けたことで、開港させられた港です。租界地となり、イギリス人居留区がつくられました。これがつまりバンド。河の片側に立ち並ぶ洋風建築です。現在は銀行やブランド店がはいっています。横浜のようです。
ところで豫園にいくためには、その周囲にある豫園商場を抜けないといけません。細い路地の中、お土産やさんと売り子がたくさんいるショッピング街で、たくさん警察さんもいます。そして先導してくれるガイドさんも警察に忠告されます。
「くれぐれもスリと売り子に気をつけろ」
警察はそのためにいるのか!!!
品質の悪いニセモノを売りつけてくる、それが売り子です。日本人観光客は最大のカモ。ニセモノや、品質の悪さ、お釣りが偽札なことを承知してれば買うのも旅の思い出、と思いきや、売り子の真の目的は売りつける隙に財布やパスポートを盗むことらしいのでスルーしていくのが一番だそうです。「千円千円!」と迫ってきます。立ち止まると囲まれるそうです。
しかし豫園商場は素敵な雰囲気でした。
そして青銅器の形の建物、上海博物館へ。上から下まで見ました。最後ダッシュで覗いた仏像がすごくよかったんですが、もう時間なかったので入り口の一体しか見れなかったのが心残り。
日本語解説の紙を回収していて、きょろきょろしてたらあっちだよ、と教えてもらいました。わーい。あと家具と、少数民族のコーナーがよかった。絵画のコーナーも、すごくお気に入りなのがありました。
昔の建物の間にどんと高層ビルが建つ、それが上海。
上海の名物料理は小包龍と上海ガニ。カニは季節じゃない。しかししゃおろんぱおは、初めて日本で食べたとき以降スープが出てきた感動を味わったことがない。
初日の夕飯はバンド内のレストラン。うましー。これは美食の旅の予感。
でもそれ以降はまあまあ。郷土料理は、まあ郷土料理だね、って感じだった。それぞれ好みの味が違うものですからね。
なんだか一晩寝たらちょっとかゆいのは気のせいだといい。
あと、万博効果でちょっと安めになってる総合販売のお店に。使われているのはアヘンで大もうけしたイギリス人商人がたてた豪邸。なんという贅沢な豪邸。まゆげめ。
そして西安に移動。流石中国、移動は全部空路です。電車で乗ると、10時間とかかけて移動するようです。
西安は昔の長安。京都、奈良が見習った碁盤の目の街です。さて西安は上海と違って田舎です。空港もそことなく小さめです。ここも凄く建設ラッシュ。ここで行くのは兵馬俑と大雁塔。寄付をつのって天然石で彫られた仏陀の生涯が素敵だった。なんという色鮮やか。中国は石の文化です。
さてここはシルクロードの出発点。平山郁夫です。
平山郁夫はシルクロード保全のために巨額を投じ、シルクロードの再発見の多くを行い、日中親善のために大活躍されました。つい最近亡くなられましたが、私も展示を見に行きました。というわけで、シルク絨毯の工場では、平山郁夫デザインの絨毯もあります。
始皇帝陵を遠目に見つつ兵馬俑へ。日本に来た時見にいきましたが、こう並ぶと圧巻というか、普通の展示とはまるで違うつくりです。体育館です。国宝の青銅の馬車も見ました。動くそうです。
ごはんは西安といえば餃子。唐歌舞踊ショーもみます。餃子もたくさん出たけど、前菜がすごく美味しかったです。唐歌はすごくよかった。美しかったー。あとすごくいろっぽく踊る人がいた。
さて北京です。早朝出発のためおかゆの缶詰。空港では直前のゲート変更。よくあることらしいんですが、中国の人もやっぱり焦って移動してました。よくあるからって、感じることは同じなようでした。
いざ万里の長城へ。ひろいなー。雄大だなー。あと案外坂でした。あとツルツルでした。これ雨の日ヤバイよ。モンゴル側と中国側で塀のつくりも違います。
そして北京ダック。北京ダック以外も美味しい。北京一らしい杏仁豆腐は、日本人の好みではないようです。豆腐はもっとつるんもちもちしてたほうが好みだ。はっ……米?
北京はすごく都会です。綺麗でぴかぴかです。オリンピック効果か。
夜は雑技を観賞。女舞いより男舞いのが盛り上がった。ひたすら柔らかくてもあんまりピンとこない。自転車芸はさすがでした。
フラッシュ危険なので写真は禁止!
宿はすごくいい宿でした。北京は都会だな。
そして翌朝は天安門広場へ。すごい人です。でも四川大地震の慰霊祭でこの日は入場禁止。遺族のみ。慰霊祭なら仕方ない。横を軍人さんがざっざっと通っていきました。かっこよかったんですが、ガイドさんが「軍人さんや警察は写真ダメですー!」らじゃー。撮らないよ!その後、故宮博物院にはいるまえのトイレ休憩で、テレビに軍人さんの行進映ってました。
さて、故宮博物院は元の紫禁城。さすがの広さとぴかぴか具合ですが、政変の際宝物はみんな台湾にもっていかれて、台湾の故宮博物館にあるので、中はなんもありません。建物をみるところです。台湾で翡翠の白菜とかは既に見ましたが、彫り物が見事でした。
中の休憩所で、書の実演なども見ました。いやあ見事。ちょっと欲しかったけど高い。雀の絵がよかったなあ。
故宮は夕暮れになると夕焼けで金色に染まってそれは見事らしいんですが、その時間は既に観光時間は終了。エライ人の散歩タイムになるそうです。
ラストエンペラーでの撮影場所も紹介されました。ほーほーほー。
そしてガイドさんと別れ日本への空の旅に……。
うん、飛行機、こない。
出発の時間になってもこない。くうくう居眠りする日本人。
30分ほど遅れて搭乗手続きへ。
そして30分ほど遅れて離陸。よし、これでゲート変更も遅延も体験したぜ。
そして、日本出発前に空港で落とした帽子は出てきませんでした。えーん。
とまで考えているわけではありませんが、わっふう、楽しみー!と前々からわくわくしていたのは本当です。
いやー、まず第一に保存状態のよさ。
色鮮やかな色彩がそのまま残っている様子は、なるほどつくられてから恒常的にひとつのところで保存されてたのかな、というかんじ。
あと、皇室にささげられた、というのが多いので、なるほど有名な人がちらちら顔を覗かせます。
以前大琳派展いったとき、酒井泡一好きだなー、と思いましたが、これ好きだなー、って思ったらほういつだった!ほういつの、水分多いところが好きです。ちなみに十二ヶ月、植物と生き物、みたいな絵でした。季節がうつるごとに、生き物探しが困難になっていくよ。特にきりぎりす。
大観の国土と松、日輪の絵もすきでした。ほほう、これがわれわれか・・・みたいな。
あとすずりいれのすずりが、なんか使われた感がなかった。高そうだしな。あくまで万博提出用なのか?
あと象牙で彫られた女房姿が、よくも彫るもんだなあとおもいました。
あと布絵もすごかった。
かずは、陛下から皇后に贈られたあの子犬の絵、なんでしょんぼりした子犬なんだろう、って言ってました。
私は、昭和天皇の書いた若竹の絵だけ妙に素人くさいなとごふんごふん。
筆をとった方が希少なんですよねわかります。
二期も楽しみです!
あとすごい混んでた。これ、11月12日の入館料無料日は、開館前にいかないと無理だろうな。
えー、ハプスブルグは栄華を誇った時代太陽の沈まぬ、と呼ばれた名家です。ご存知のとおり、スペインの代名詞ですが、スペインがすごかった時代、スペインハプスブルグだったんですね。
というわけで、オーストリアオーストリア、と思っていったのに、案外スペインだったりします。
絵画は各国の特徴が出ているのが面白かったです。スペインの堅苦しい宗教画と、イタリアの自由度高い宗教画の違いが、なんだか笑えました。
あとルーブルでも思ったんですが、ドイツ絵画は絵の具が多いなというか、色を細かく使うというか、風景画のイメージというか。私はもっとはっきりした方が好きですな…。
デューラーは教科書に載ってる四使徒とか好きだったんですが、なんだかイメージが違った。
イメージが違ったのがあとルーベンスです。巨匠巨匠といわれるとなんとなく忌避していましたが、なるほどオーラが違いました。構図も色遣いも新たな挑戦が見えたりして、よかったです。
マリアテレジア11歳とか、これ絶対11歳に見えないから、と思う一瞬。欧米め。
5歳の絵とかは5歳に見えるのに、どういうことでしょうか。
あと見返りエリザベートとかもありました。あんまりいいイメージないんですが、国民人気は高いんですよねシシー。エリザベートはミュージカルを見たことがあります。あれはすごく楽しかったです。CD買ったけどルドルフのがはいってなかったぜ。
というわけでハプスブルグ展。
見終わったら、スペイン親分・・・!という気分になっていたけれど、確かご本家ではハプスブルグの張り紙つけられて、暗い顔でこれからは好き勝手できないぜ、って顔してましたよね。オーストリアと結婚状態になるわけですから、人生の墓場に入った気分だったのか?
仁王丸ツアーに是非参加したいということで、9時のに乗れるように、と早朝出発です、が。
勢いあまって、7時半に到着しました。すると、昨日から8時から出してます、との一言が!早朝偉大!
これで、時間が微妙な松島の旅がぐっと余裕がでます。まずは松島クルーズです。
私は水島が好きだな。
クルーズから戻り、五大堂へ。すかし橋は、気をひきしめさせるためだそうです。
そしてみちのく政宗館へ。
ろう人形……リアルだ。
偉人たちもいます。……リアルだ。
政宗の一生を25のろう人形シーンにしてみました、は見事なできばえ。カメラを通すと、まるでドラマのワンシーンです。東京の寺社に、小次郎が生きてたかも、って話があるそうですね。
徳川いわくの政宗が、なんだか素敵な表現でした。
途中で、手焼き笹かまに挑戦。くるくる焼きます。美味しいです。
そして瑞巌寺へ。
現在本堂は修繕中なので、代わりにめごひめの御霊屋と、庫裏が公開中です。宝物殿もあります。
孫がたててくれたそうで、こじんまりと可愛くかつ豪華です。このいたるところにつけられてる文様は、ひょっとして田村の家紋お昼には、松島と言うことで海鮮海鮮!牡蠣牡蠣!美味しかったです。?
そして天燐院、いろはのお墓や、はせくらが持ち帰ったものが徳川から隠されてた円通寺。こちらの庭は見事です。
そして、最後に観欄亭でいっぷく。ここは政宗が、秀吉からもらった安土桃山城の一棟である茶室を、江戸城の藩邸に移築してあったのを、息子がさらにもってきたそうです。よくもってくるもんだ。
そして仙台に戻り、東京へ戻ります。
さらば仙台。
ドラクエはたくさんすれちがいました。
が、大多数が旅行客という驚愕。
既に多くの身軽な人々が長蛇の列。
無事座れる感じで乗り込み、出発。まずは瑞鳳殿に。仙台は戦時中焼け野原になりまして、こちらも例に漏れず戦災で燃えてしまっています。当時の白黒絵葉書が、国宝時代の姿を伝える貴重な資料。
ここを再建しよう、ということになった時、学者から熱望されたのが、政宗公のご遺体の発掘です。墓暴きなんじゃとしり込みしつつも、当時を知るのにお願いしますということで、政宗の墓は開いたのでした。
中身はほとんど仙台市博物館です、が。
さて瑞鳳殿、絢爛豪華です。これでもかとつけられた家紋家紋家紋。黒漆に金。
手を合わせて次は仙台城跡
急な坂道を登りつつ……るーぷる万歳。渋滞する車を横目に、るーぷるを優先しまーす、と優先して進みます。
仙台城は山城で、天守閣のないお城です。名残もほとんどないため、写真スポットは政宗公の騎馬像。ここから仙台を見つめているのだなあ、とパシャリ。
すずめ踊りが奉納舞の最中で、見学することができました。
青葉城資料館をぐるぐる回りつつ、下山します。
仙台市博物館がリニューアルのため休館中、そのためループルもとまりません、が。
ここの裏庭には、初代政宗騎馬像の頭部があるのです。ずんだ串を食べつつ下山です。
そして見事魯迅と一緒に裏庭に発見。大きいなあ。
そして、るーぷるの駅まで歩いて合流しようと……、うん。
迷いました。
なんとか辿り着きましたが、もうこんな歩いちゃったなら、このまま仙台駅に戻らず大崎八幡宮までいってしまおうぜオーラが発生。歩き出します。
国宝大崎八幡宮。八の字に実は鳩が隠れてる。
正真正銘国宝なのに。
……参拝客少ないなオイ。遠いからか。
そして開き直ってタクシーで青葉神社に運ばれます。
ここは片倉さんが宮司を務める、政宗公を祀る神社です。緑が多いです。そしてこの近くに、パパさんをまつる、ママさんのお墓があるお寺があるわけです。
ちなみに、多分政宗公の意向とは関係ありません。青葉神社ができたのはかなり後なので。
そしてJRを使って仙台に戻ります。
ご飯はガイドにのってた居酒屋さん。美味しかったです。
一日目は白石、二日目を仙台、三日目を松島を回りました。
白石蔵王で降りて、ぎょっと驚いたのは、駅の中の小十郎祭り。鬼小十郎祭りで使用された鎧なども飾ってありました。レンタサイクルを借りて、手描き地図をゲットして外へ。レンタサイクル快適です。
二代目小十郎が幸村の娘と結婚してるので、真田縁のお寺もあります白石。そしてお寺には鐘が記されています。
白石駅前の小十郎プラザにいざ向かう途中
かずが転倒しました(真顔
唐突に転倒したのでえええええーという気分です。交番の前でこけました。慌てて出てくるお巡りさん。いやすんません。
でも水道をお借りして傷口を洗い、ばんそうこうをペタリ。
ちなみに白石駅に来る前に迷ってます。現地の方にお寺の場所聞いてます。
観光センターの人、現地の人、そしておまわりさんで三人目のお話した人ですが、いままで一番よく会話した気がする有様です。
気を取り直して小十郎プラザへ。BASARAー。でもまあ後でまた通るだろうし、とお店の人と談笑しつつ出発。
さあ次も白石城の移築が、と思いつつ、このあたりで気がついてしまうのです。
あー、お彼岸近いですね。
観光気分で大変申し訳ありません。
これから三日間その気分で進むことになります。
さて、一路片倉家代々のお墓がある山へと進みます。レンタサイクル万歳。
代々のお墓、そして喜多のお墓、そして田村パパのお墓、と手をあわせていきます。
田村パパ、こんな風にひっそりと逃れなければならなかったとは……。
道を戻って武家屋敷のある地域へ。
小関さんの家が公開されています。小さいです。
でも、このあたりずっと武家屋敷の光景で、やや低めの塀がずっと続いていったり、小関さんちは広い川があって、橋を渡らないと行けなかったりと、当時の情景がそのままあるようです。
そして白石城へ。
まず腹ごしらえでうーめんを食べます。もぐー。うーめんは白石の方にとっては家庭料理で、食べにいくようなものではないそうです。
そして白石。木造で建てなおされた天守閣。
入ると陣笠を身にまとって写真とっていいよといわれました。わっふう!
そして昇ります。天守閣は敵が攻めてきた時の司令塔。戦闘のための建物です。普通暮らすところではないので、敵が攻めにくいよう急だったり、進みにくくなってたりします。
天守閣のてっぺんに登り、しばし白石を見つめる一時。白石城の正面は、仙台に向いているそうです。
白石は南への要害ですから、北を見つめては主を思い、南を見つめては敵がせめて来たときどう守るかを考えていたのでしょうか。
鬼の小十郎帰るに及ばずなシアターを見てから、じゃかじゃか次のお寺へ。
でてますでてます。
真田の六文銭!
そしてじゃかじゃか小十郎の一本杉があるお寺へ。
そしておそらく同じく巡礼中の女性二人に、一本杉のある方向を教えてもらうという心温まるエピソードを越えつつ一本杉へ。
手をあわせます……。
もう時間が大分押してきたのでそのまま白石蔵王へ進み、仙台へ向かいます。
まさか白石にしか、BASARAチップスが見当たらないなんて……。
仙台ではガイドで紹介されたお店で政宗御前とめご御前をいただきました。牛タンハンパなくうめー。というかみんな美味しかったです。いい店だー。