えー、中国旅行いってました。
上海ですけど万博じゃありません。
中国は広いです。飛行機から見ると、街のあたりは四角い箱がたくさんどこどこ並んでいますが、少し離れると山河ありです。
中国はトイレットペーパーは水に流さない主義なので、横に大きなゴミ箱が置いてあります。トイレットペーパーがついているのはホテルや空港とかで、基本紙はついてないので自分でティッシュペーパーを持参しましょう。
最近は仕切りがないなんてことはほとんどなく、とりあえず観光地のトイレ、レストランでのトイレはほとんど仕切りがありましたが、鍵が壊れていることはままあります。でも中国の人も困るようで、一生懸命閉めてました。
あと、フォーク並びの心境には至っていないようで、いっこいっこにレジ並びです。これは人口が多いからかもしれません。
黄砂があるので自動車のボンネットは白いです。
さて、上海についてまずおもうことは交通状況。台湾も車優先でしたが、横断は勇気で行われます。車と車の間を歩行者がすり抜けていき、街はクラクションでいっぱい。自転車は大分バイクに移行しているようです。
あと建築ラッシュでそこらじゅうでクレーンが見えます。
交通事故の割合は、統計では人口で比率すると日本とそう変わらず、これが常態で慣れているようです。
さて上海。万博のため外に洗濯物干すことが罰金ついたようで、洗濯物の姿はほとんどないです。ですが上海は湿気が高く、たいていいつも曇りなので、以前は晴れの日は一斉に干す日だったとか。
幸い観光時には天気に恵まれ晴れの豫園へ。
豫園は都会の山水。お庭が自慢です。金持ちの主が勢いで竜をつけちゃって、役人にシバかれそうになったところを竜の指を三本に折って(竜は五本)ごまかしたというお庭です。竜を使うのは皇帝の特権で、パンピーが使うと処刑だったわけですね。
遠めに万博会場を見ます。あれ、ビックサイト……?隣には桜色の屋根の日本館も。ニュースでは毎日5.60万人きてるそうです、でも前の晩のニュースのテロップでは9日間で130万に達した、といってました。勘違いか。あと洪水で10人が死亡し、12万人が罹災、ただいま救援活動中、っていってました。流石中国、規模が違います。しかし、上海では霧雨だったんですが、流石中国、広いです。
展望台にも昇ります。テレビ塔のまるい球も見ます。超高級マンションもみます。
上海はアヘン戦争でイギリスに負けたことで、開港させられた港です。租界地となり、イギリス人居留区がつくられました。これがつまりバンド。河の片側に立ち並ぶ洋風建築です。現在は銀行やブランド店がはいっています。横浜のようです。
ところで豫園にいくためには、その周囲にある豫園商場を抜けないといけません。細い路地の中、お土産やさんと売り子がたくさんいるショッピング街で、たくさん警察さんもいます。そして先導してくれるガイドさんも警察に忠告されます。
「くれぐれもスリと売り子に気をつけろ」
警察はそのためにいるのか!!!
品質の悪いニセモノを売りつけてくる、それが売り子です。日本人観光客は最大のカモ。ニセモノや、品質の悪さ、お釣りが偽札なことを承知してれば買うのも旅の思い出、と思いきや、売り子の真の目的は売りつける隙に財布やパスポートを盗むことらしいのでスルーしていくのが一番だそうです。「千円千円!」と迫ってきます。立ち止まると囲まれるそうです。
しかし豫園商場は素敵な雰囲気でした。
そして青銅器の形の建物、上海博物館へ。上から下まで見ました。最後ダッシュで覗いた仏像がすごくよかったんですが、もう時間なかったので入り口の一体しか見れなかったのが心残り。
日本語解説の紙を回収していて、きょろきょろしてたらあっちだよ、と教えてもらいました。わーい。あと家具と、少数民族のコーナーがよかった。絵画のコーナーも、すごくお気に入りなのがありました。
昔の建物の間にどんと高層ビルが建つ、それが上海。
上海の名物料理は小包龍と上海ガニ。カニは季節じゃない。しかししゃおろんぱおは、初めて日本で食べたとき以降スープが出てきた感動を味わったことがない。
初日の夕飯はバンド内のレストラン。うましー。これは美食の旅の予感。
でもそれ以降はまあまあ。郷土料理は、まあ郷土料理だね、って感じだった。それぞれ好みの味が違うものですからね。
なんだか一晩寝たらちょっとかゆいのは気のせいだといい。
あと、万博効果でちょっと安めになってる総合販売のお店に。使われているのはアヘンで大もうけしたイギリス人商人がたてた豪邸。なんという贅沢な豪邸。まゆげめ。
そして西安に移動。流石中国、移動は全部空路です。電車で乗ると、10時間とかかけて移動するようです。
西安は昔の長安。京都、奈良が見習った碁盤の目の街です。さて西安は上海と違って田舎です。空港もそことなく小さめです。ここも凄く建設ラッシュ。ここで行くのは兵馬俑と大雁塔。寄付をつのって天然石で彫られた仏陀の生涯が素敵だった。なんという色鮮やか。中国は石の文化です。
さてここはシルクロードの出発点。平山郁夫です。
平山郁夫はシルクロード保全のために巨額を投じ、シルクロードの再発見の多くを行い、日中親善のために大活躍されました。つい最近亡くなられましたが、私も展示を見に行きました。というわけで、シルク絨毯の工場では、平山郁夫デザインの絨毯もあります。
始皇帝陵を遠目に見つつ兵馬俑へ。日本に来た時見にいきましたが、こう並ぶと圧巻というか、普通の展示とはまるで違うつくりです。体育館です。国宝の青銅の馬車も見ました。動くそうです。
ごはんは西安といえば餃子。唐歌舞踊ショーもみます。餃子もたくさん出たけど、前菜がすごく美味しかったです。唐歌はすごくよかった。美しかったー。あとすごくいろっぽく踊る人がいた。
さて北京です。早朝出発のためおかゆの缶詰。空港では直前のゲート変更。よくあることらしいんですが、中国の人もやっぱり焦って移動してました。よくあるからって、感じることは同じなようでした。
いざ万里の長城へ。ひろいなー。雄大だなー。あと案外坂でした。あとツルツルでした。これ雨の日ヤバイよ。モンゴル側と中国側で塀のつくりも違います。
そして北京ダック。北京ダック以外も美味しい。北京一らしい杏仁豆腐は、日本人の好みではないようです。豆腐はもっとつるんもちもちしてたほうが好みだ。はっ……米?
北京はすごく都会です。綺麗でぴかぴかです。オリンピック効果か。
夜は雑技を観賞。女舞いより男舞いのが盛り上がった。ひたすら柔らかくてもあんまりピンとこない。自転車芸はさすがでした。
フラッシュ危険なので写真は禁止!
宿はすごくいい宿でした。北京は都会だな。
そして翌朝は天安門広場へ。すごい人です。でも四川大地震の慰霊祭でこの日は入場禁止。遺族のみ。慰霊祭なら仕方ない。横を軍人さんがざっざっと通っていきました。かっこよかったんですが、ガイドさんが「軍人さんや警察は写真ダメですー!」らじゃー。撮らないよ!その後、故宮博物院にはいるまえのトイレ休憩で、テレビに軍人さんの行進映ってました。
さて、故宮博物院は元の紫禁城。さすがの広さとぴかぴか具合ですが、政変の際宝物はみんな台湾にもっていかれて、台湾の故宮博物館にあるので、中はなんもありません。建物をみるところです。台湾で翡翠の白菜とかは既に見ましたが、彫り物が見事でした。
中の休憩所で、書の実演なども見ました。いやあ見事。ちょっと欲しかったけど高い。雀の絵がよかったなあ。
故宮は夕暮れになると夕焼けで金色に染まってそれは見事らしいんですが、その時間は既に観光時間は終了。エライ人の散歩タイムになるそうです。
ラストエンペラーでの撮影場所も紹介されました。ほーほーほー。
そしてガイドさんと別れ日本への空の旅に……。
うん、飛行機、こない。
出発の時間になってもこない。くうくう居眠りする日本人。
30分ほど遅れて搭乗手続きへ。
そして30分ほど遅れて離陸。よし、これでゲート変更も遅延も体験したぜ。
そして、日本出発前に空港で落とした帽子は出てきませんでした。えーん。
上海ですけど万博じゃありません。
中国は広いです。飛行機から見ると、街のあたりは四角い箱がたくさんどこどこ並んでいますが、少し離れると山河ありです。
中国はトイレットペーパーは水に流さない主義なので、横に大きなゴミ箱が置いてあります。トイレットペーパーがついているのはホテルや空港とかで、基本紙はついてないので自分でティッシュペーパーを持参しましょう。
最近は仕切りがないなんてことはほとんどなく、とりあえず観光地のトイレ、レストランでのトイレはほとんど仕切りがありましたが、鍵が壊れていることはままあります。でも中国の人も困るようで、一生懸命閉めてました。
あと、フォーク並びの心境には至っていないようで、いっこいっこにレジ並びです。これは人口が多いからかもしれません。
黄砂があるので自動車のボンネットは白いです。
さて、上海についてまずおもうことは交通状況。台湾も車優先でしたが、横断は勇気で行われます。車と車の間を歩行者がすり抜けていき、街はクラクションでいっぱい。自転車は大分バイクに移行しているようです。
あと建築ラッシュでそこらじゅうでクレーンが見えます。
交通事故の割合は、統計では人口で比率すると日本とそう変わらず、これが常態で慣れているようです。
さて上海。万博のため外に洗濯物干すことが罰金ついたようで、洗濯物の姿はほとんどないです。ですが上海は湿気が高く、たいていいつも曇りなので、以前は晴れの日は一斉に干す日だったとか。
幸い観光時には天気に恵まれ晴れの豫園へ。
豫園は都会の山水。お庭が自慢です。金持ちの主が勢いで竜をつけちゃって、役人にシバかれそうになったところを竜の指を三本に折って(竜は五本)ごまかしたというお庭です。竜を使うのは皇帝の特権で、パンピーが使うと処刑だったわけですね。
遠めに万博会場を見ます。あれ、ビックサイト……?隣には桜色の屋根の日本館も。ニュースでは毎日5.60万人きてるそうです、でも前の晩のニュースのテロップでは9日間で130万に達した、といってました。勘違いか。あと洪水で10人が死亡し、12万人が罹災、ただいま救援活動中、っていってました。流石中国、規模が違います。しかし、上海では霧雨だったんですが、流石中国、広いです。
展望台にも昇ります。テレビ塔のまるい球も見ます。超高級マンションもみます。
上海はアヘン戦争でイギリスに負けたことで、開港させられた港です。租界地となり、イギリス人居留区がつくられました。これがつまりバンド。河の片側に立ち並ぶ洋風建築です。現在は銀行やブランド店がはいっています。横浜のようです。
ところで豫園にいくためには、その周囲にある豫園商場を抜けないといけません。細い路地の中、お土産やさんと売り子がたくさんいるショッピング街で、たくさん警察さんもいます。そして先導してくれるガイドさんも警察に忠告されます。
「くれぐれもスリと売り子に気をつけろ」
警察はそのためにいるのか!!!
品質の悪いニセモノを売りつけてくる、それが売り子です。日本人観光客は最大のカモ。ニセモノや、品質の悪さ、お釣りが偽札なことを承知してれば買うのも旅の思い出、と思いきや、売り子の真の目的は売りつける隙に財布やパスポートを盗むことらしいのでスルーしていくのが一番だそうです。「千円千円!」と迫ってきます。立ち止まると囲まれるそうです。
しかし豫園商場は素敵な雰囲気でした。
そして青銅器の形の建物、上海博物館へ。上から下まで見ました。最後ダッシュで覗いた仏像がすごくよかったんですが、もう時間なかったので入り口の一体しか見れなかったのが心残り。
日本語解説の紙を回収していて、きょろきょろしてたらあっちだよ、と教えてもらいました。わーい。あと家具と、少数民族のコーナーがよかった。絵画のコーナーも、すごくお気に入りなのがありました。
昔の建物の間にどんと高層ビルが建つ、それが上海。
上海の名物料理は小包龍と上海ガニ。カニは季節じゃない。しかししゃおろんぱおは、初めて日本で食べたとき以降スープが出てきた感動を味わったことがない。
初日の夕飯はバンド内のレストラン。うましー。これは美食の旅の予感。
でもそれ以降はまあまあ。郷土料理は、まあ郷土料理だね、って感じだった。それぞれ好みの味が違うものですからね。
なんだか一晩寝たらちょっとかゆいのは気のせいだといい。
あと、万博効果でちょっと安めになってる総合販売のお店に。使われているのはアヘンで大もうけしたイギリス人商人がたてた豪邸。なんという贅沢な豪邸。まゆげめ。
そして西安に移動。流石中国、移動は全部空路です。電車で乗ると、10時間とかかけて移動するようです。
西安は昔の長安。京都、奈良が見習った碁盤の目の街です。さて西安は上海と違って田舎です。空港もそことなく小さめです。ここも凄く建設ラッシュ。ここで行くのは兵馬俑と大雁塔。寄付をつのって天然石で彫られた仏陀の生涯が素敵だった。なんという色鮮やか。中国は石の文化です。
さてここはシルクロードの出発点。平山郁夫です。
平山郁夫はシルクロード保全のために巨額を投じ、シルクロードの再発見の多くを行い、日中親善のために大活躍されました。つい最近亡くなられましたが、私も展示を見に行きました。というわけで、シルク絨毯の工場では、平山郁夫デザインの絨毯もあります。
始皇帝陵を遠目に見つつ兵馬俑へ。日本に来た時見にいきましたが、こう並ぶと圧巻というか、普通の展示とはまるで違うつくりです。体育館です。国宝の青銅の馬車も見ました。動くそうです。
ごはんは西安といえば餃子。唐歌舞踊ショーもみます。餃子もたくさん出たけど、前菜がすごく美味しかったです。唐歌はすごくよかった。美しかったー。あとすごくいろっぽく踊る人がいた。
さて北京です。早朝出発のためおかゆの缶詰。空港では直前のゲート変更。よくあることらしいんですが、中国の人もやっぱり焦って移動してました。よくあるからって、感じることは同じなようでした。
いざ万里の長城へ。ひろいなー。雄大だなー。あと案外坂でした。あとツルツルでした。これ雨の日ヤバイよ。モンゴル側と中国側で塀のつくりも違います。
そして北京ダック。北京ダック以外も美味しい。北京一らしい杏仁豆腐は、日本人の好みではないようです。豆腐はもっとつるんもちもちしてたほうが好みだ。はっ……米?
北京はすごく都会です。綺麗でぴかぴかです。オリンピック効果か。
夜は雑技を観賞。女舞いより男舞いのが盛り上がった。ひたすら柔らかくてもあんまりピンとこない。自転車芸はさすがでした。
フラッシュ危険なので写真は禁止!
宿はすごくいい宿でした。北京は都会だな。
そして翌朝は天安門広場へ。すごい人です。でも四川大地震の慰霊祭でこの日は入場禁止。遺族のみ。慰霊祭なら仕方ない。横を軍人さんがざっざっと通っていきました。かっこよかったんですが、ガイドさんが「軍人さんや警察は写真ダメですー!」らじゃー。撮らないよ!その後、故宮博物院にはいるまえのトイレ休憩で、テレビに軍人さんの行進映ってました。
さて、故宮博物院は元の紫禁城。さすがの広さとぴかぴか具合ですが、政変の際宝物はみんな台湾にもっていかれて、台湾の故宮博物館にあるので、中はなんもありません。建物をみるところです。台湾で翡翠の白菜とかは既に見ましたが、彫り物が見事でした。
中の休憩所で、書の実演なども見ました。いやあ見事。ちょっと欲しかったけど高い。雀の絵がよかったなあ。
故宮は夕暮れになると夕焼けで金色に染まってそれは見事らしいんですが、その時間は既に観光時間は終了。エライ人の散歩タイムになるそうです。
ラストエンペラーでの撮影場所も紹介されました。ほーほーほー。
そしてガイドさんと別れ日本への空の旅に……。
うん、飛行機、こない。
出発の時間になってもこない。くうくう居眠りする日本人。
30分ほど遅れて搭乗手続きへ。
そして30分ほど遅れて離陸。よし、これでゲート変更も遅延も体験したぜ。
そして、日本出発前に空港で落とした帽子は出てきませんでした。えーん。
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