もちろん以前からあったのだが、ヘタリアの爆発的なヒットから擬人化の波も広まった。ステレオタイプが大好きな我々日本人は「~~らしさ」を探るのが面白い。観光にいくのだって、そこの土地らしさ、を見てみたくてうろうろする。イギリス人には紳士ぶりを発揮してほしいし、イタリア人には愛をささやいてほしい。ついでに言えば京都人にはぶぶづけを進められて退散してみたい。
先日京都に旅行したのだが、その前に旅行エッセイを読んだ。その時、舞台となった大阪京都神戸より、では東京らしさとはなんであろう、というのが気にかかった。
筆者はコテコテの地元人に案内してもらったとあったのだが、コテコテの東京人とはなんだろう?
江戸っ子だろうか。それは違う気がする。江戸らしさが東京だと言われたら鼻で笑ってしまうだろう。江戸らしさは良い観光スポットであり、外国人の考える「ニンジャサムライフジゲイシャ」らしさでもある。すでに江戸らしさとは、都市江戸ではなく、江戸時代らしさ、対外的な日本文化らしさなのである。
江戸の間将軍の膝元として100万人都市となった江戸は、徳川の敗北を越えて、それでも首都機能を認められた。東京には地方から人が集まり、少子化の今になっても東京では人口が減らない。
思うに、東京らしさとは、一にそうした集合性と、二に大都市ニッポン、であることだと思う。
東京では世界中から人が集まっても、誰も不思議だとは思わない。観光ではなく。慣れない風習を見て、「そっちではそうなんだ」で終了である。それは他人への無関心でもあるし、十人いたら全員が違う風習をもつのに、いちいちかまっていられない、ということだ。
重要なのは現在互いに共通する問題を解決することであり、それさえわかっていれば支障がない。
東京は世界中から集まった現代を生きるのに忙しく、ひと月も前に終わったことに意識をなげかけたりしない。続いているならなにかニュースで出るだろう。
日本を観光するのに、第一であげるならやはり日本文化の代表選手、京都であると思うのは、私が東京人だからか。実際には日本観光ルートとは、京都と富士山東京、と縦断していくものらしい。フランス旅行の際コートダジュールからモンサンミシェルまで縦断したことを思い出せばなんらおかしいところではない。日本の目玉をちょいちょい拾って過ごしていくわけだ。
イギリスの空港で観光ブックを探してみたら、TOKYOしかなくて失望したが、思えば日本にだってロンドンとしかないのが大概だ。やはりヨーロッパは遠いのかもしれない。
この外からやってくる人たちだが、しばしば日本に慣れきっている。
立ち並ぶコンビニに自販機、地価の高さに物価の高さ。世界中の食べ物が、物が手に入らぬものがないという風潮。ぎゅうぎゅう詰の満員電車、きらきらしい照明。張り巡らされた交通網。
動画に見る日本に慣れきったと思う瞬間、それは東京中のどこでも見られる姿である。
だが、それは本当に日本らしさなのか。それこそ東京らしさ、単なる大都市らしさのように思う。だが、大都市らしくない東京は、けして東京らしくはないのだ。
最近は東京も和物ブームがやってきて、和物小物のお店が立ち並ぶ。雰囲気があって大変好ましい。それもエコの潮流と節電の嵐がやってきて、電気を使わない道を模索したらそうなった、ということなのだが。
ゲームやアニメによって広まった戦国ブームもその一因を担っているには違いない。
だが、それで東京がお国武将らしさを漂わせるか、というのはない。
そもそも東京自体数多の郷土から集まった人でできているわけで、それが共通の武将やら、共通の野球チームやらに盛り上がるわけがない。東京では、隣人の感性が自分と同じとは限らない。祭り好きには変わらないので、祭りなら盛り上がるだろうが。
信玄公を慕うように、家康公を慕うわけがない、というのは別に徳川と江戸のつながりがどうというわけではなく、東京に住むということが、そもそも昔にこだわりを覚えない、ということのような気がする。ひと月前のことすら過去として遠く、まして大戦の大空襲で焼け野原になった東京だ、それ以前はさらに歴史の一文なのだ。
では過去とは、東京らしくない。
現代日本を謳歌する、それこそ東京らしさなのではないか。
それは同時に東京らしさ、とは更新されるものであり、変化するものということだ。
なんと、ここまで書き連ねて東京らしさなんて言いきれない、というのが結論とは驚愕である。家族に東京観光にどこを案内するか、と聞いてみた。
父は皇居に東京タワー。
母は東京ディズニーランド、ディズニーシー。ジブリ美術館。
姉はスカイツリーに秋葉原。築地。
ちなみに私は上野、渋谷や銀座もあげておいた。銀座の店は他の街にあるよりお高そうな外装になっているのが面白いし、上野の美術館密集具合は美術好きには極楽だ。
とりあずディズニーは千葉だが、東京人の概ねが「実は千葉だよディズニー」というネタでありつつも、あまり東京外と意識してないと思うのでおいておく。たぶん東京駅から行くからだろう。
考えるに、東京とは観光地として回るには広すぎる。
先に述べた旅行エッセイの地図をみて驚いたのは、地図が実にコンパクトであることだ。人口が多くない時代に築かれた都市だからだろうか。なんというか狭い。でも狭いので簡単に回れて観光地としてはいいなと思う。23区より狭めて山の手内だけにしたって東京はこんな風には回れない。
その広さのせいか、東京みやげも悩ましい。東京駅を覗いても、正直いつも違うものがあるような気さえする。
東京ばななに困窮を救われて以来東京ばななを特別視しているが、東京ばななはどうひいき目に見てもスポンジにクリームがはいってるだけのお菓子である。それなりに美味しいけども、ひやして食べるほうがおいしい。
それより、東京なら各地より集まった世界中の料理を食べる方がいい気がする。
東京は大空襲により燃えた街であり、戦後の街である。そして世界有数の大都市である。歴史がないことなど誰もがわかっているし、首都である限りは、そんなことは当たり前だ、と気にならないだろう。
私の母などは東京がすごいのは天皇陛下のおひざ元なとこじゃない?とか言っていた。京都人に怒られるかもしれない。でもすまないが皇族が好きな東京人はたいてい「今いらっしゃるのは東京だしー」とか思ってるかもしれない。
皇居周辺はイチョウ並木で秋にはまっきいろになる。とにかくイチョウは葉が多く、地面一面に落ちるので、それは見事な光景である。イチョウは東京の木で、丈夫なので街路樹としてそこらじゅうに見られる。ライトアップが過ぎるとはっぱが枯れるので注意だ。
ここまで東京らしさとは大都会だ、と述べたが、東京に住む者は、東京が別に大都会ばかりではないと知っている。そも大都会らしいところはつまりオフィス街なので働く場所であり、ちょっとお金を使って買い物に行くところなのである。
そう考えると東京らしさとは経済の中心であり、政治の中心であり、ショッピングの中心ということなのかもしれない。
東京らしくない東京は、レトロで昭和の香りがする。慣れていくと、そんなところがやはり真の東京なのだ、と思う気がする。
結局東京人らしいとはなんだろう。なんだか結局わからなかった。
とりあえずスカイツリーはいくけど。3000円でも、まあ飲み会一回いけばそんぐらいだしね。
先日京都に旅行したのだが、その前に旅行エッセイを読んだ。その時、舞台となった大阪京都神戸より、では東京らしさとはなんであろう、というのが気にかかった。
筆者はコテコテの地元人に案内してもらったとあったのだが、コテコテの東京人とはなんだろう?
江戸っ子だろうか。それは違う気がする。江戸らしさが東京だと言われたら鼻で笑ってしまうだろう。江戸らしさは良い観光スポットであり、外国人の考える「ニンジャサムライフジゲイシャ」らしさでもある。すでに江戸らしさとは、都市江戸ではなく、江戸時代らしさ、対外的な日本文化らしさなのである。
江戸の間将軍の膝元として100万人都市となった江戸は、徳川の敗北を越えて、それでも首都機能を認められた。東京には地方から人が集まり、少子化の今になっても東京では人口が減らない。
思うに、東京らしさとは、一にそうした集合性と、二に大都市ニッポン、であることだと思う。
東京では世界中から人が集まっても、誰も不思議だとは思わない。観光ではなく。慣れない風習を見て、「そっちではそうなんだ」で終了である。それは他人への無関心でもあるし、十人いたら全員が違う風習をもつのに、いちいちかまっていられない、ということだ。
重要なのは現在互いに共通する問題を解決することであり、それさえわかっていれば支障がない。
東京は世界中から集まった現代を生きるのに忙しく、ひと月も前に終わったことに意識をなげかけたりしない。続いているならなにかニュースで出るだろう。
日本を観光するのに、第一であげるならやはり日本文化の代表選手、京都であると思うのは、私が東京人だからか。実際には日本観光ルートとは、京都と富士山東京、と縦断していくものらしい。フランス旅行の際コートダジュールからモンサンミシェルまで縦断したことを思い出せばなんらおかしいところではない。日本の目玉をちょいちょい拾って過ごしていくわけだ。
イギリスの空港で観光ブックを探してみたら、TOKYOしかなくて失望したが、思えば日本にだってロンドンとしかないのが大概だ。やはりヨーロッパは遠いのかもしれない。
この外からやってくる人たちだが、しばしば日本に慣れきっている。
立ち並ぶコンビニに自販機、地価の高さに物価の高さ。世界中の食べ物が、物が手に入らぬものがないという風潮。ぎゅうぎゅう詰の満員電車、きらきらしい照明。張り巡らされた交通網。
動画に見る日本に慣れきったと思う瞬間、それは東京中のどこでも見られる姿である。
だが、それは本当に日本らしさなのか。それこそ東京らしさ、単なる大都市らしさのように思う。だが、大都市らしくない東京は、けして東京らしくはないのだ。
最近は東京も和物ブームがやってきて、和物小物のお店が立ち並ぶ。雰囲気があって大変好ましい。それもエコの潮流と節電の嵐がやってきて、電気を使わない道を模索したらそうなった、ということなのだが。
ゲームやアニメによって広まった戦国ブームもその一因を担っているには違いない。
だが、それで東京がお国武将らしさを漂わせるか、というのはない。
そもそも東京自体数多の郷土から集まった人でできているわけで、それが共通の武将やら、共通の野球チームやらに盛り上がるわけがない。東京では、隣人の感性が自分と同じとは限らない。祭り好きには変わらないので、祭りなら盛り上がるだろうが。
信玄公を慕うように、家康公を慕うわけがない、というのは別に徳川と江戸のつながりがどうというわけではなく、東京に住むということが、そもそも昔にこだわりを覚えない、ということのような気がする。ひと月前のことすら過去として遠く、まして大戦の大空襲で焼け野原になった東京だ、それ以前はさらに歴史の一文なのだ。
では過去とは、東京らしくない。
現代日本を謳歌する、それこそ東京らしさなのではないか。
それは同時に東京らしさ、とは更新されるものであり、変化するものということだ。
なんと、ここまで書き連ねて東京らしさなんて言いきれない、というのが結論とは驚愕である。家族に東京観光にどこを案内するか、と聞いてみた。
父は皇居に東京タワー。
母は東京ディズニーランド、ディズニーシー。ジブリ美術館。
姉はスカイツリーに秋葉原。築地。
ちなみに私は上野、渋谷や銀座もあげておいた。銀座の店は他の街にあるよりお高そうな外装になっているのが面白いし、上野の美術館密集具合は美術好きには極楽だ。
とりあずディズニーは千葉だが、東京人の概ねが「実は千葉だよディズニー」というネタでありつつも、あまり東京外と意識してないと思うのでおいておく。たぶん東京駅から行くからだろう。
考えるに、東京とは観光地として回るには広すぎる。
先に述べた旅行エッセイの地図をみて驚いたのは、地図が実にコンパクトであることだ。人口が多くない時代に築かれた都市だからだろうか。なんというか狭い。でも狭いので簡単に回れて観光地としてはいいなと思う。23区より狭めて山の手内だけにしたって東京はこんな風には回れない。
その広さのせいか、東京みやげも悩ましい。東京駅を覗いても、正直いつも違うものがあるような気さえする。
東京ばななに困窮を救われて以来東京ばななを特別視しているが、東京ばななはどうひいき目に見てもスポンジにクリームがはいってるだけのお菓子である。それなりに美味しいけども、ひやして食べるほうがおいしい。
それより、東京なら各地より集まった世界中の料理を食べる方がいい気がする。
東京は大空襲により燃えた街であり、戦後の街である。そして世界有数の大都市である。歴史がないことなど誰もがわかっているし、首都である限りは、そんなことは当たり前だ、と気にならないだろう。
私の母などは東京がすごいのは天皇陛下のおひざ元なとこじゃない?とか言っていた。京都人に怒られるかもしれない。でもすまないが皇族が好きな東京人はたいてい「今いらっしゃるのは東京だしー」とか思ってるかもしれない。
皇居周辺はイチョウ並木で秋にはまっきいろになる。とにかくイチョウは葉が多く、地面一面に落ちるので、それは見事な光景である。イチョウは東京の木で、丈夫なので街路樹としてそこらじゅうに見られる。ライトアップが過ぎるとはっぱが枯れるので注意だ。
ここまで東京らしさとは大都会だ、と述べたが、東京に住む者は、東京が別に大都会ばかりではないと知っている。そも大都会らしいところはつまりオフィス街なので働く場所であり、ちょっとお金を使って買い物に行くところなのである。
そう考えると東京らしさとは経済の中心であり、政治の中心であり、ショッピングの中心ということなのかもしれない。
東京らしくない東京は、レトロで昭和の香りがする。慣れていくと、そんなところがやはり真の東京なのだ、と思う気がする。
結局東京人らしいとはなんだろう。なんだか結局わからなかった。
とりあえずスカイツリーはいくけど。3000円でも、まあ飲み会一回いけばそんぐらいだしね。
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