へいふー!朝食はバイキング。
朝は錦帯橋へ。日本三名橋、釘を使わない木作りいつつのアーチが特徴。
ちょ、こけそう。こけそう!なんて急な橋。微妙に階段になってる橋。
橋を通って白蛇さんの博物館?へ。
すごいぞ白いぞ。ほんとに白いぞ。ちなみに白蛇の子供は白蛇とは限らないそうです。
そして厳島神社へ。まずはフェリーで宮島に移動です。だんだんと近づいてくる赤い鳥居に歓声があがります。瀬戸内海綺麗だなー。
島は鹿の楽園。まったりのんびり鹿がくつろいでいます。お札食べるから気をつけろ。長生きな鹿の中にはすっかり写真のモデルも務められるそうで、集合写真にポーズをとって写る鹿。
そして参拝です。潮は引いていますが、しゅるしゅると水かさが・・・潮の流れ早いなオイ。
厳島神社は、その参拝ルートの足元、木も世界遺産だそうで、昔は靴を脱いでスリッパで参拝だったそうです。今では板を二重にして踏まないように。
板の間には隙間があって、水が素通りするようになってます。
そして、地面に柱がささってない、乗ってる、というのは事前に聞きましたが・・・・ああー、なるほど!
ほんとに乗ってます。水かさがさらに増すと、ぷかっと浮かぶようになってます。
丁度結婚式もしてました。綿ぼうし!
そして舞台。国宝。
お金を払うとここで奉納舞が踊れるそうです。
なんだか、はるとき3で神子がこんなとこで踊ってたような気がする。
そして、途中毛利元就がつくった能舞台も。赤く塗ってないのは、後世につくりましたよ、っていうことらしいです。たまにここで能舞台が開かれるそうです。その時は手前に席を設置するとか。
途中、秀吉の作成途中のなんとかとか。五重塔もそうだったかな。
宮島の名物は紅葉饅頭としゃもじ。
そして世界遺産の旅の最後は原爆ドーム。このために選択したツアーといって過言ではありません。日本人として一度はみておきませんと。
原爆ドームはほぼ真上で原爆が爆発したため、当時珍しい鉄骨作りのため、など諸所の理由あって、丸い部分が残ったものです。当初は見ると辛くなるから早く壊してしまおう、という話だったのですが、時間が経つにつれて、あの建物だけが原爆の記憶になるのだろう、という言葉から残していこう、ということになったとか。
平和の鐘をつきます。この鐘、つかれるところにアトミックマークがあります。この鐘をつくということは、世界から核爆弾がなくなりますように、という祈りなんですね。
国中から寄せられた千羽鶴に囲まれて、原爆の子の像。鶴を千羽折ると治ると言われて折り続けながら原爆症で亡くなられた女の子の死をきっかけに子供たちの募金によってつくられた像です。像を見上げている時、外国の方の一行と合流して、どんな反応しているのかちょっと気になりました。
平和記念公園の中には、原爆の犠牲となった朝鮮の方の慰霊碑なども。犠牲となった人の中にはアメリカ人捕虜とかもいたそうで、爆弾は犠牲者を選ぶことはない、ということですね。
原爆ドーム、平和の灯、慰霊碑、平和の門などは一直線に並んでいます。建築家さんの意図だとか。
慰霊碑は石棺の中に原爆症でなくなった方の名前が綴られていきます。
祈念館の中では、大戦の様子や、過程、原爆による被害の様子などの記録が保存されていました。
中でも印象的だったのは、世界で核実験が行われるたびに広島市長が送る抗議の電文。
…文章が皆違う…。
柱にびっしりと並ぶ電文でした。
それと、祈念館を見た後は、あなたの感じたことをノートに、というところがあるのですが、世界の要人のものは展示されています。カーター元大統領とか、マザーテレサとかパウロ二世といった平和の貢献者は勿論ですが、エリツィンさんとかもいます。どこの大統領だったか…。自身も被爆者である、と記してあったものも印象的でした。ここに訪れた者が誰もがこの悲劇を繰り返してはならないと思う、と記されていたのには、ならば世界中の人々が、皆訪れるべきだと思いました。
広島空港に移動する間、窓越しの広島城を一生懸命パシャリ。撮れてない。
朝は錦帯橋へ。日本三名橋、釘を使わない木作りいつつのアーチが特徴。
ちょ、こけそう。こけそう!なんて急な橋。微妙に階段になってる橋。
橋を通って白蛇さんの博物館?へ。
すごいぞ白いぞ。ほんとに白いぞ。ちなみに白蛇の子供は白蛇とは限らないそうです。
そして厳島神社へ。まずはフェリーで宮島に移動です。だんだんと近づいてくる赤い鳥居に歓声があがります。瀬戸内海綺麗だなー。
島は鹿の楽園。まったりのんびり鹿がくつろいでいます。お札食べるから気をつけろ。長生きな鹿の中にはすっかり写真のモデルも務められるそうで、集合写真にポーズをとって写る鹿。
そして参拝です。潮は引いていますが、しゅるしゅると水かさが・・・潮の流れ早いなオイ。
厳島神社は、その参拝ルートの足元、木も世界遺産だそうで、昔は靴を脱いでスリッパで参拝だったそうです。今では板を二重にして踏まないように。
板の間には隙間があって、水が素通りするようになってます。
そして、地面に柱がささってない、乗ってる、というのは事前に聞きましたが・・・・ああー、なるほど!
ほんとに乗ってます。水かさがさらに増すと、ぷかっと浮かぶようになってます。
丁度結婚式もしてました。綿ぼうし!
そして舞台。国宝。
お金を払うとここで奉納舞が踊れるそうです。
なんだか、はるとき3で神子がこんなとこで踊ってたような気がする。
そして、途中毛利元就がつくった能舞台も。赤く塗ってないのは、後世につくりましたよ、っていうことらしいです。たまにここで能舞台が開かれるそうです。その時は手前に席を設置するとか。
途中、秀吉の作成途中のなんとかとか。五重塔もそうだったかな。
宮島の名物は紅葉饅頭としゃもじ。
そして世界遺産の旅の最後は原爆ドーム。このために選択したツアーといって過言ではありません。日本人として一度はみておきませんと。
原爆ドームはほぼ真上で原爆が爆発したため、当時珍しい鉄骨作りのため、など諸所の理由あって、丸い部分が残ったものです。当初は見ると辛くなるから早く壊してしまおう、という話だったのですが、時間が経つにつれて、あの建物だけが原爆の記憶になるのだろう、という言葉から残していこう、ということになったとか。
平和の鐘をつきます。この鐘、つかれるところにアトミックマークがあります。この鐘をつくということは、世界から核爆弾がなくなりますように、という祈りなんですね。
国中から寄せられた千羽鶴に囲まれて、原爆の子の像。鶴を千羽折ると治ると言われて折り続けながら原爆症で亡くなられた女の子の死をきっかけに子供たちの募金によってつくられた像です。像を見上げている時、外国の方の一行と合流して、どんな反応しているのかちょっと気になりました。
平和記念公園の中には、原爆の犠牲となった朝鮮の方の慰霊碑なども。犠牲となった人の中にはアメリカ人捕虜とかもいたそうで、爆弾は犠牲者を選ぶことはない、ということですね。
原爆ドーム、平和の灯、慰霊碑、平和の門などは一直線に並んでいます。建築家さんの意図だとか。
慰霊碑は石棺の中に原爆症でなくなった方の名前が綴られていきます。
祈念館の中では、大戦の様子や、過程、原爆による被害の様子などの記録が保存されていました。
中でも印象的だったのは、世界で核実験が行われるたびに広島市長が送る抗議の電文。
…文章が皆違う…。
柱にびっしりと並ぶ電文でした。
それと、祈念館を見た後は、あなたの感じたことをノートに、というところがあるのですが、世界の要人のものは展示されています。カーター元大統領とか、マザーテレサとかパウロ二世といった平和の貢献者は勿論ですが、エリツィンさんとかもいます。どこの大統領だったか…。自身も被爆者である、と記してあったものも印象的でした。ここに訪れた者が誰もがこの悲劇を繰り返してはならないと思う、と記されていたのには、ならば世界中の人々が、皆訪れるべきだと思いました。
広島空港に移動する間、窓越しの広島城を一生懸命パシャリ。撮れてない。
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